日本のコーポラティブハウス、これで良いの?①

その1.企画者主導型コーポラのコーディネーターについて

~~以下の原稿は先だって、ある業界誌(NPOコーポラティブハウス全国推進協議会発行:コーポラティブハウジング)より原稿依頼を受けて記載した内容の抜粋です。

読者としては、コーポラティブハウスに関る人々が中心であることから、事業者に宛てたコメントです~~

原稿の依頼を受けて、本誌にどのような内容を書くか、暫し考えた。本来はこのようなコーポラティブハウスを企画しました、と事例を中心にその物件の特徴、コンセプト、思い、プロセスや背景を書き連ねるのが主旨であろう。それはそれで読み手には有意義であると思うが、本誌のような、コーポラティブに関わる極めてニッチな団体の機関誌で原稿を書く、ということを考えると、単なる事例紹介で終わって良いのか、という気持ちが沸いてきた。事例についても触れて記載するが、もっと取り組むスタンスというか、コーポラティブハウスを成立させるために私が常日頃考えている事を書かせていただきたいと思うようになった。(以下、「コーポラティブハウス」を「コーポラ」と略す)

少々好きに書かせていただいた。

「タウン・クリエイション」という会社は私、石川が15年前に設立した会社であるが、独立前の「都市デザインシステム(現UDS)」の初期からコーポラの企画、コーディネートをしてきたので、私個人としては、コーポラに関わって20数年が過ぎ、関わった物件数も60棟を超える(この中には他社へのアドバイジングなども含む)。恐らく現役のコーディネーターとしては古い人間となってしまった。

「何だ?それは」というのが今の私の正直な気持ちだ。たかだか20数年、数十棟に関わっただけで古い人間になってしまうのは、日本のコーポラの層の薄さ、浅さの現れであるとつくづく感じている。

なぜ継続していくプレーヤーが増えないのか、プレーヤーどうし、もっと実践的な戦略的アライアンスが組めないのか、私も含めたプレーヤーは根本から考え直す時期にきていると思う。

住宅を作っていく、コミュニティーを育んでいく、あるいは街を作っていく、という事の大切な要素は、決して数や期間の長さではない。また、家づくりの手法として、コーポラだけが良い手法でもない。けれども、コーポラには「集まって家を作っていくプロセスにこそ、人が住む家たる醍醐味がある」、また「都市における集合住宅という形態として、本来あるべき要素を多く持っている」と実感しており、この仕組みを継続する事には意味があると思っている。

私の役割が変わることはあっても、また、派生するビジネスを広げていくことはあっても、私はコーポラと関わることをきっと辞めないだろう。(頭と体と心が働ける間は)

継続していくということは、ビジネスモデルとして成り立ち、「きちんと稼ぐ」ということである。俄かに「ちょっとやってみた」プレーヤーが継続できないのは、思いがあってもビジネスの域に達しないからである。若しくは思いがなく、手間のかかる事業に懲りてしまうからだろう。

ビジネスという言葉を使うとドライな印象があるが、きちんと対価を得てサービスを提供するということは、社会活動の基本である。また継続する事と大量生産は全く異なる。

そうした思いから、今回は次の内容について記載していきたいと思う。

1.           企画者主導型コーポラのコーディネーターについて

2.           コーポラ“らしい”とは?

3.           コーポラのノウハウから派生する活動

 

本誌の読者には様々な方がいると思うが、ある程度基本的な知識や見識がある、という前提で記載させていただく。

1.企画者主導型のコーポラのコーディネーターについて

住民主導型と企画者主導型という分類についての解説は割愛する。私は圧倒的に企画者主導型のコーポラを企画、コーディネートしてきた。

住民主導型のコーポラは、纏まれば素晴らしいものになるが、その成立現代では極めて困難である。過去、住まいに対して考え方の近しい方々から相談を受けて土地探しや企画を手伝ったこともあるが、個々の予算感、ライフスタイル、住居としてのこだわりなどは、近しくとも一緒ではない。それは当然で、実は纏まらない。また、ライフスタイル、家族構成、仕事などは、その思いついた時点から変化していく。仲間に併せてライフスタイルを変えずにいく、ということには無理がある。

コーディネーターが企画したものであっても、参加者には「新たな出会いも有意義に捉えてもらう」、という視点をとても大切にしている。たまたま知り合った人達でもプロセスを通して、自分の家の事を考え、家族の事を考え、周りの人達の事も考える。そして、家づくりだけではなく、家が完成してからの住まい方、関り方の成熟させる要素がある。

ただ、思いだけでは仕事はできない。

そもそも計画がしっかりしていないと話しにならない事は当然であってプロとしての最低限のノウハウと調整力が必要だ。

その上で、人が住むものである、というイメージを計画段階から持てるか、ということはコーポラに限らず住宅を企画する上で大切な視点だと思う。更に言うとどんな仕事にも共通する大切な要素だと思う。

なぜか、コーポラに関る私も含めた事業者、関係者には特有の「ゆるさ」、「自己満足感」がある。(あくまで私見)

住民(施主)が主体→自己責任→コーディネーターの責任範囲は狭い、・・・そう考えているコーディネーターもいる。あるいは不測の事態が生じたときに開き直る者もいる。

確かに、住民(施主)の自主性が大切な事業であり、契約形態としても開発段階のリスクは施主である組合に大きくある。ただ、不測の事態が生じた場合に、プロとしてコーディネーターは何ができるのか、これを常に考え出来うることを実践しなければならない。責任感の問題だ。

コーディネーターとはどのような役割と捉えて仕事をするか、私なりに表現すると、、、最低限のノウハウや調整力に加え、

・物事と人の考えを理解し、人を大事にできるか、

・隙間があったら埋められるか。その努力をどこまでできるか、

という点であると思う。

石川修詞・・・その2「コーポラ“らしい”とは?」に続く

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